朝永振一郎と生八橋
元記事 2006年06月08日
なんとも変な題名ですが(笑)
私の父方の祖母は戦前になりますが、若い頃京都の朝永三十郎家の「女中」(現在の呼び方ですと「メイド」ですね(笑))に働きに出ていました(礼儀作法を学ぶためだそうです)。朝永三十郎は朝永振一郎の父であり、祖母は若き「振一郎ぼっちゃん」の世話などもしていたようです。
祖母から聞かされた(父や母からの又聞きもありますが)エピソードで非常に興味深いものがあります。
祖母が働きに出た頃、食事の時に「女中」は朝永振一郎や朝永三十郎とは違う物を食べていたようです、しかしあるとき、女中の食事風景を見ていた「振一郎ぼっちゃん」が「なぜ女中は自分と食べるものが違うのか」と父親に問うたらしく、その後朝永家では女中も家族も同じものを食べるようになったそうです。昭和初期の話で、「おしん」と大差ない時期の話ですから、朝永家のリベラルさには恐れ入ります。朝永家での女中の待遇は大変良く、ずっと朝永家にいたいと思ったそうです。
私の家の料理などを含めた風習は完全に京都風なのですが、この風習は概ね祖母から伝えられたもので、つまりは朝永家のものでしょう。
ここで「生八橋」の話です・・・・朝永家は客人が来るとお茶菓子に「生八橋」を出すのが習慣だったようで、よく祖母は朝永家の近くの「聖護院八ツ橋」まで買出しに行っていたそうです。我が家は今でも「生八橋」を良く食べますが、これも祖母の影響ですね(笑)
聖護院じゃないけと生八つ橋
投稿者プロフィール
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模型工房M代表。
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